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S-48 歴史の道ハイクPart6 近江路

2015年5月10日(日)~13日(水)

参加者:5名
コース:1日目 東京=(新幹線)=京都=草津 草津宿散策
2日目 旧中山道・近江商人の町歩き
3日目 旧東海道歩き(関宿~亀山)
4日目 草津=京都=(新幹線)=東京 解散

 
 台風6号の襲来が心配される中、総勢5名の参加者で昼過ぎ出発というのんびりした旅程で旅は始まった。京都からは東海道線に乗り換え30分ほどで草津へ。ここ草津を拠点に今回の街道歩きは始まる。夜、リーダー作成の詳細な資料を基に明日からの旅の見どころなどのレクチャーを受け1日目は終わった。
 2日目、台風は明日がピークとの天気予報に予定を変更し、今日、旧中山道15キロを歩くことにする。草津から東海道線で米原経由柏原へ。冬は雪が深いのだろう、融雪道路になっている。ここ柏原宿は中山道69次のうち60番目の宿で東西1、5キロに及ぶ近江の国最大規模を誇る宿場だった。今も立ち並ぶ古民家や常夜灯などが往時を思わせる。本陣跡、脇本陣跡、更には賑わっていたころの名残か宿屋の看板が多い。街道で商店を発見した。看板に「川村百貨店」とある。宿場で唯一の商店だった。
 61番目の宿場は醒ヶ井宿、全長900メートルにも満たないが交通の要衝として古くから知られている。町を流れる地蔵川にある居醒めの清水は「平成の名水百選」に選ばれている。町のそこここから湧き出す清水に梅花藻(バイカモ)の緑が輝いている。地蔵川のハリヨは岐阜、三重、滋賀の3県だけに生息が確認されているトゲウオ科の魚で絶滅危惧種である。人家の前には個々に橋が架けられ橋が駐車場にもなっている。
 今日最後の宿場は62番、番場宿。飛鳥時代の東山道から続く小さな宿場だったが琵琶湖に米原湊が江戸時代開かれるとともに中山道から京への船による物流が発達し栄えるようになった。宿場には今も「米原汽車汽船道」と掘られた石造りの道標が立っている。ここには又、浄土宗本山蓮華寺があり番場の忠太郎地蔵尊が立っている。蓮華寺を辞して摺針峠を越え鳥居本宿に寄り鉄道ファン垂涎の近江鉄道、鳥居本駅から帰路に就いた。
 3日目、草津線でまず柘植まで。駅舎に標高243メートル(約800尺)とある。柘植からは関西本線で関へ。台風の接近、いよいよ急。前線も活発だ。雨の来ぬ間にと今回の目玉、関宿に急行。東海道、江戸から数えて47番、江戸から明治にかけて作られた200軒余りの古い町屋が軒を並べる。街道には地中に埋められ電柱が一本もない。だからか日本の道百選にも選ばれている。関宿を堪能したところで横殴りの雨が降ってきた。一目散に東海道46番、亀山宿へ。亀山から草津に帰り中山道と東海道が出会う宿場、草津宿に残る国の史跡「草津宿本陣」を見て3日目を終えた。
 4日目は早朝草津から京に移動し改築なった西本願寺に参り午後の「こだま」で帰宅の途に就いた。

K.記

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