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1109 山梨・桃源郷の山

4月8日(水)

積翠寺温泉の桜は今が満開

 目覚めると埼玉地区天気予報大当たり! 雨がしょぼしょぼ!前日、山行係から実施の連絡で集合場所に向かう。甲府地域の天気予報では曇り予報も出ていることを期待し、電車内合流の方々を除く14名南浦和駅ホーム集合。口々に「さむ~い、寒~い」の連発。異常気象なのか冬に逆戻りの朝である。途中から乗車する方も予定通り乗車。列車が甲州路に入り甲斐大和の峠に差しかかると雪が舞う。「勝沼ぶどう郷」に到着すると感激の声があがる!!丘一面に桃源郷が!!ピンクの桃の花が我々を迎えてくれた。雨の甲府駅に到着。列車内で雨支度を整えていたのですぐさまタクシーに分乗し積翠寺温泉・要害山登山口に向かう。準備もそこそこにスタート。山行予定の甲府自然休養林ハイキング要害山コースを歩く。甲府地区も桜が満開で新芽の緑とのコントラストと相まって春の息吹きを感じる。ピンクに咲き誇る沢山のトウゴクミツバツツジが雨山行の不快な気持ちを和ませる。要害山は山全体が「要害城」という山城になっている。この山城は1520年武田信玄の父・信虎が築いたもので武田氏館(現在の武田神社)に対し緊急時に立てこもる詰の城としての役割を持っていた。登り始めると登山道の各所に土塁跡・竪堀跡・城門跡の掲示が続き郭や複雑かつ連続的に付設され防御を重ねてある。山頂に到着すると東西73m・南北22mの平らな主郭になっていて規模の大きな建物が存在していたと想像される。段郭と相まって当時は難攻不落の要害で信玄・勝頼の3代に亘って利用した山城である。山頂に山梨百名山の標識と東郷平八郎の書による「武田信玄侯誕生の地」の石碑あった。頂上を越えると両側を竪堀された稜線のアップダウンが続く。下から容易に攻め登れないような急角度の谷になっている。第一分岐から第二分岐のかけては、良く整備された間伐の行き届く作業道を進むが、雨のせいで滑りやすく注意を要した。第二分岐からは「水手の沢」沿いに標高を下げてゆく。途中、沢に丸太橋が数か所あり雨で非常に滑りやすく歩幅を狭くしながら渡った。深草園地に到着しホット一息!ふもとの根古屋集落ある日吉神社の縁と軒先をお借りして昼食をすませた。この根古屋は城番を勤める武士屋敷が置かれた場所と説明書きあり。国の史跡に指定されている要害城を背に武田神社まで2キロの県道を歩く。アスファルトは足にこたえる。神社参拝後バスに乗車し駅に向かった。雨&雪&みぞれの慌ただしい山行でしたが満開の桜の花に雪の積もる様は非常に美しく感じた山旅でした。

Script by K., and Photo by O.

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