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1103 四阿屋山―三合落岳

2015年3月29日(日)本部合同

交通費:4500円
参加者:62名(支部15名、本部47名)
コース:大宮7:30=薬師堂コース駐車場10:20―四阿屋山11・20―住居場12:20~12:40
―三合落岳14:00―外山峠14:40―浦島16:00=大宮19:30

 
 「三合落岳」は旧両神村にある1,115mの急峻な山で、地元民からサンゴースと呼ばれている。旧村民は中学生になると学校行事で金剛院―三合落―大谷峠の山稜を歩かされたとのことで、皆、この山に並々ならぬ愛着を持っており、両神山と並ぶ地域の名山と見なされている。
 ところが、昭文社地図では、この山を創刊以来「両見山」としており、ネット上の記録でも両見山とする例が後を絶たない。地元では有史以来「三合落」であり、両見山(リョウゲンザン)は金剛院の裏にある748m峰なのだ。1,115m峰を両見山とするのは別名とか異説とかのレベルではなく、完全な誤りであることは地元では常識であり、たまに三合落に両見山の山名板をつける登山者がいると、山仕事や猟で入った村人が見つけ次第、外して捨てているとのこと。
 実はこの誤り、なかなか奥が深い。江戸時代に書かれた「新編武蔵風土記稿」に両見山についての記載があるのだが「金剛院の持ち山で、小森村との境にある」としている。ところが実際、金剛院の持ち山の両見山は小森村との境ではない。地形図がなかった当時としては有りがちな誤記載であり、新編武蔵風土記稿にはこういった誤りが多い。
 しかし、この記述を真に受けて山座同定すると、どうしても三合落が両見山になってしまう。そして、そうしてしまった1人が奥秩父の父といわれる原全教氏なのだ。氏の著書である「奥秩父」の山域概念図で三合落が両見山とされてしまっており、さらに行き場所がなくなった「サンゴーツ」が瞽女ヶ岳(小森二子山)に同定されてしまっている。おそらく昭文社地図もこれを踏襲したのだろうと思う。
 地元においては「りょうかみ双書」の出版等により、正しい情報を伝えようとする動きがあるものの、世間的には原全教氏と昭文社地図という、二大権威による認定を覆すとことができていない状況なのである。
 かくして「埼玉100山」の刊行を通じて、このことに関わってしまった私たちは、「三合落岳」の山名板を携え、この山に向かうことになった。山名板の設置については、事前に浦島の金剛院の許可を頂いた。ちなみに、通常の村人の会話の中では三合落であり、「岳」はつかないが、96歳で亡くなった金剛院の先代神主さんに、つけるとしたら「岳」ということを伺っていたので、山名板は「三合落岳」とした。
 なお、三合落の名称の由来であるが、近くにある五合落峠(ゴンゴーストウゲ、現:権五郎落峠)の由来から推察すると「両神山より三合分低い山」という意味から来ていると思われるが、どうだろうか・・・。

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