期 日:2024年3月3日(日)~5日(火) 天 候;晴/薄曇/雨 参 加 者;男4名 女12名 計16名 費 用:約35.100円(宿泊費12,600 ジパング19,500 現地交通費3,000) コ ー ス:1日目 東京7:33=新大阪10:27/40=淀屋橋10:49―適塾―鴻池家本宅跡―高麗橋・昼食 ―東横インデポ12:30―大阪城・梅林―JR森ノ宮=玉造―三光神社―真田山 ―井原西鶴の墓―近松門左衛門の墓―谷町九丁目=鶴橋・コリアン街=京橋=天満橋 ―東横イン天満橋大手前16:40 2日目 ホテル8:30―天満橋=四天王寺前夕陽丘駅―(藤原)家隆塚・伊達・陸奥家の墓―四天王寺 ―通天閣・新世界10:00~11:00―今宮戎神社―南海今宮戎13:07=新今宮 =住吉大社・昼食12:00~住吉鳥居前13:40=天王寺=難波―千日前・黒門市場 ―法善寺横丁―道頓堀―心斎橋=淀屋橋=天満橋―東横イン天満橋大手前16:40 3日目 ホテル8:00―京阪天満橋8:17=石清水八幡宮8:59=ケーブル9:15~10:00/23 =淀―淀城跡―淀=中書島11:18―宇治川枝流三十国舟乗り場―酒蔵通り―寺田屋 ―近鉄桃山御陵前13:19=京都13:33―解散 地下鉄御堂筋線淀屋橋で下車、土佐堀川の対岸に趣のある大阪市役所、日銀大阪支店を眺め、日本生命本社の脇を歩き始めた。ここは大阪のビジネスの中心なのだ。すぐに適塾。幕末に緒方洪庵が開いた学塾で福沢諭吉も塾生であった。 東海道五十七次の終点高麗橋近辺で腹拵えして東横インで荷物をデポして大阪城へ。盛りをチョット過ぎた梅園を見物し、一駅乗って玉造か大阪の陣で真田勢が奮戦した真田山一帯をめぐり、多くのお寺が蝟集し、井原西鶴、近松門左衛門の墓もある中寺町を歩いた後、谷町九丁目から一駅地下鉄で鶴橋に出て これも現代大阪の一面であるコリアン街を見物して1日目の行程を終えた。 2日目は四天王寺夕陽ヶ丘駅からスタート。すぐそばの家隆塚へ。定家と同時代の歌人藤原家隆が晩年、西方に沈む夕日を眺めるこの地を愛でて庵を結び、その家隆を敬った陸奥宗光の父もここに住んだことから、父伊達何某と息子陸奥宗光の墓もある。建てたのは原敬。 少し歩いて聖徳太子が建立した四天王寺を参拝した後、最短コースで新世界に向かい、通天閣に登り大阪の町を見下ろした。毎年1月10日を挟む三日間十日えびすで大賑わいする今宮戎も普段は閑散としている。すぐ近くの南海今宮駅から住吉大社へ。太古、住吉大社は海に面していて、鳥居の傍には遣唐使出航の地と表示されていた。額田王が「熟田津に船乗りせんと月待てば・・・」の歌を詠んだのもここだ。 鳥居前から路面電車で天王寺へ。地下鉄に乗り次いで難波から千日前、法善寺・水掛け不動、道頓堀、心斎橋と大阪ミナミの繁華街を歩いて2日目の行程を終了した。 3日目はあいにく冷たい雨。京阪電車で石清水八幡宮へ。この辺りは桂川、宇治川、木津川の三川が合流して淀川となる合流点で、京都の西南の鬼門を守る八幡宮をケーブルで上り下りして参拝。電車で一駅移動して淀駅から淀城跡を往復した。淀城の由来は省略。 最後の訪問地伏見へ、中書島まで電車に乗車。宇治川の水運で栄えた名残り、造り酒屋の庫跡、寺田屋などしっとりした伏見の町並みを散策して全日程を終了し、京都駅で解散した。 三日間とも大阪、京都に詳しいサブリーダKさんに先導してもらい、コンデション不良で途中離脱することが多かったリーダーの役割をかわって果たしてもらった。 参加者の多くは大阪、伏見は初めてで、聖徳太子や仁徳天皇、額田王の昔よりコリアン街、通天閣、道頓堀界隈など今日の大阪の賑わいに興味を持たれたようだ。 (N 記) |
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