1913 東京都:江戸城を訪ねる
  
期  日:2023年1月8日(日)
天  候;晴れ
参 加 者;計25名
歩  行;3時間30分
費  用:約1,000円
コース :市ヶ谷駅10:00・・靖国神社・・千鳥ヶ淵緑道・・北の丸公園・・皇居東御苑(天守閣跡
      ・・本丸跡(昼食12:00~12:30)・・冨士見櫓・・展望台)・・二の丸庭園・・大手門
      ・・二重橋13:20・・桜田門・・東京駅14:10(解散)

 集合場所が分かりづらいとのリーダーの心配をよそに、JR市ヶ谷駅改札口10時に全員集合。 リーダーから心のこもった新年への差し入れを手に出発。富士見坂を通り、北門から靖国神社に入る。 大勢の参拝客で賑わっていた。まずは拝殿で参拝。能楽堂では袴の会が能を奉納。 気象庁が東京の桜の開花を発表するソメイヨシノの標本木を見る。神門では中央2枚の扉にある直径1.5mの菊の御紋章を見上げる。
 大鳥居を出て歩道橋を渡り北の丸公園へ。公園内にある重要文化財の旧江戸城田安門に入る。 防御を重視した桝形をしている。石垣の前には多くの若い女性がいて、石垣よりそちらに目が行く。 門を通り抜けると、若い女性で日本武道館の廻りは埋め尽くされていた。 日本の男性アイドルグループINI(アイエヌアイ)の公演が行われるとのこと。この北の丸公園は御三卿の田安家と清水家の屋敷地であった。 一橋家はこの公園の外側にあった。
 北桔橋門で荷物検査を受け、皇居東御苑に入る。天守閣跡の石垣の大きさは圧巻である。 天守台に登ると思ったほどの広さではない。江戸城は天下普請で築かれ、3代家光の時に一応の完成をみる。 諸大名の財力を削ぐ狙いもあったようです。家康は幕府の威光を示すため大阪城よりも大きい天守閣を築いたが、秀忠および家光はそれぞれ天守閣を解体し建て直した。 家光の天守閣は日本最大級とされている。しかし、1657年に起きた明暦の大火で天守閣は消失。幕末まで再建されることはなかった。 天守台から下りる途中で集合写真を撮る。なお、今の天守台は明暦の大火後に積み直されたものである。
 隣接する本丸跡の広々とした芝生の真ん中で昼食となる。空は晴れわたり、風はなく、日差しが暖かい。静かだ。 廻りを見上げれば高層ビルが立ち並ぶ。まことにのどかであった。その後、松の廊下跡、富士見櫓を見る。 江戸時代の富士見櫓からは品川の海や富士山が眺められたそうな。皇居東御苑にはこの季節でも木々に花が咲き、実がなっていた。 本丸・表御殿の玄関門にあたる中雀門跡から中之門跡を通って、百人番所と同心番所へ。 江戸城内の建物はほとんど焼失してしまったが、富士見櫓とこの同心番所、百人番所は現存している。大手門から皇居東御苑を出る。
 皇居前広場を通って二重橋に向かう。どこからか島倉千代子の「東京だョおっ母さん」の歌詞の一節が聞こえてくる。 橋は2つ見えるが、実は奥にある橋が二重橋。二重橋の正式名称は正門鉄橋。手前の石橋は正門石橋。二重橋をバックに集合写真を撮る。 まだまだみなさん元気で、急遽、大老井伊直弼が暗殺された桜田門外の変で有名な桜田門に行く。 井伊直弼の彦根藩上屋敷から桜田門まで500mほどの距離しかないのには驚いた。もと来た道を戻り、東京駅丸の内中央口正面の行幸通りで解散となった。
 会長には、靖国神社、北の丸公園、天守台、桜田門などで面白い話をたくさん伺いました。 今回参考にさせて頂きました。このコースを計画されたリーダーおよび会長、みなさんのおかげで楽しい一日になりました。 有り難うございました。

(S  記)




それぞれのルートで市ヶ谷駅に集合


靖国神社参拝

桜の標準木


江戸城の美しい石垣の前で


北の丸公園の広場で昼食

二重橋を背景に記念撮影


富士見櫓


東京駅をバックに撮影後解散