1860 中央アルプス:木曽駒ヶ岳〜空木岳
  
期  日:2022年7/22(金)〜7/25(月)
天  候:晴れ(7/22埼玉は小雨)
参 加 者;8名
費  用:約40,000円
コース 
7/22  南浦和11:40~西国分寺12:08/12:13立川12:19/12:22(あずさ21号)岡谷14:18/14:50
          伊那市15:38---エビスホテル(泊)
     7/23  伊那市駅5:00(ジャンボタクシー)~桂木場(1300m)5:20 /5:30
          --野田場(1750m)6:40/6:45--馬返し7:20--大樽避難小屋(2094m)8:05/8:10
          --急登(胸突八丁)--胸突きの頭10:15(茶臼山分岐)--将棋頭山直下 西駒山荘(2650m)
          10:55(昼食)/11:25--聖職の碑,遭難記念碑(2730m)11:50/12:00--八合目、濃が池分岐
          --馬の背12:15--木曽駒ヶ岳山頂14:20/14:40--宝剣山荘15:30(泊) 
     7/24  宝剣山荘5:00--宝剣岳(2931m)5:25/5:35--極楽平---島田娘6:30---濁沢大峰7:40
          --檜尾岳(2728m)9:15/9:25-- 熊沢岳(昼食)11:20/12:00,--東川岳(2671m)
          13:50/14:00---木曽殿山荘14:30(泊) 
     7/25 木曽殿山荘5:45--空木岳(2864m)7:40/7:55--駒石8:45/8:55--分岐(2528m)
         ,--ヨナ沢の頭(2328m)9:30--大地獄、小地獄10:20--マセナギ11:20--池山小屋
         --タカウチ場--林道終点12:50--菅の口バスセンター14:30/14:55=駒ヶ根15:15/15:45
         =岡谷16:59/17:37(あずさ50号)=立川19:42/19:44=西国分寺19:49/20:00
         =南浦和20:29/20:35=浦和20:37(解散)
     
 7/22(第1日目) 
 家を出る頃は埼玉は小雨。傘をさし南浦和へ向かったが伊那市に着くと眩しい夏空が広がっていた。リーダーがリサーチして下さったご当地グルメのソースカツ丼のお店で夕食を頂き、明日からの木曽駒ヶ岳から空木岳への長時間の縦走山行のエネルギーを蓄え、皆で、乾杯した。

 7/23(第2日目) 快晴 
 登山口の桂木場(標高1300m)から今日は標高差約1700mを登る行程である。今回のルートは新田次郎の「聖職の碑」という山岳小説に書かれた大正2年に実際にあった遭難事故のあったルートである。初めは緩やかな樹林帯を登っていく。空気はヒンヤリだが汗、汗、汗 緩やかな登山道だが、どんどん標高は上がっていき、スタートから2時間半で標高2000mを超え、風も冷たくなってきた。ここから胸突八丁、岩や根っこの急登が2時間続く。標高をどんどん稼いでいき、やがて胸突の頭へ。岩が大きくなってきて一段の登りが高く、きつい。やがて西駒山荘(2650m)に到着しランチタイムとなった。ここには遭難事故を機に建てられた西駒山荘石室という有形文化財があった。また、絶滅したコマクサを地元の中学生が再生させるために活動しているそうで、可憐なコマクサがあちこちに咲いていた。ランチの後はいよいよ聖職の碑の「遭難記念碑」へ。巨大な岩に「遭難記念碑」が掘られており、思った以上の大きさにびっくり。ここは遭難事故で亡くなられた校長先生が発見された場所とのことだった。「聖職の碑」を読むと当時の悲惨な状況、山の厳しさが伝わってくる。しかし、慰霊碑や殉難碑でなく「遭難記念碑」としたのは「集団登山こそが最高の教育の場である」という考えをこれからも受け継いでいこうとしたその出発の記念碑としたからとの事だった。更に歩を進め、馬の背へ、ここも難所のやせ尾根、そして岩、岩、岩がこれでもか! と、厳しい登り、やがて木曽駒ヶ岳が見えてきた。14:20登頂。皆で、登頂を祝い、中岳を巻いて、宝剣山荘に到着 した。

 7/24(第3日目) 快晴 
 今日はいよいよ宝剣岳へ。ユーチューブで見る限りではかなりの厳しさ、3点支持、足場の確保! 気を引き締めてリーダーの後をついていった。スタートからいきなりの岩の急登、鎖場が続く。だが、足元には厳しい岩山に可憐な高山植物が咲いていた。コマウスユキソウ、イワツメクサ、タカネシオガマ等、いつもこの花達に励まされてきた。厳しい岩山が続くが、リーダーやメンバーに助けられ、宝剣岳登頂。やった! 狭い山頂で写真をとり、今度はまた、緊張の下山。宝剣岳を下山した後、しばらくは展望の良い稜線歩きとなりたくさんの高山植物が目を楽しませてくれたが、所々で更に先は厳しかった。宝剣岳以上に厳しい岩、岩、岩の鎖、急登、急下り。檜尾岳に登頂、雲海に富士山が浮かぶ。美しく素晴らしい展望だ。厳しい登り、下りの果てにこの景色、 だが、この感動に浸ってる暇はなく、更に厳しい木曽山脈縦走は続く。熊川岳に登頂、木曽御嶽山が目前に迫る。ここでランチタイム。ちょっと一息し、更に東川岳へ。ここでは、ほぼ垂直な岩壁があったが鎖なし。何で? リーダーが登った通りに必死で登る。そんなこんなで岩との戦いも終盤戦となり何とか無事に木曽殿山荘に到着した。

 7/25(第4日目) 快晴
 毎日、9時間半から10時間を歩いている。山小屋ではリーダーが下山後30分以内に冷湿布で足のケアをするようアドバイスがあり、そのせいか?、足の方は筋肉痛もなく最終日を迎えた。今日は空木岳へ、これもまた厳しい岩山。山小屋の目前に空木岳が迫る。いきなりの急登、大岩が重なり、一体どこに足場を置くの? ベテランのメンバーに先を歩いてもらい、お手本を見ながら必死でついていった。下山後はリーダーが皆に見せたかったという駒石へ。巨大な岩が迫るがこれは見るだけ、駒石の周囲は広々していて素晴らしい展望だった。和やかに写真を撮り、更に進むとまた急な下りが続く、大地獄、小地獄という名前からしてスゴイ場所があり、険しい垂直の鎖の急下り  があった。やがて池山分岐へ、この辺まで降りると周囲は樹林帯となり緑が眩しかった。やがて林道終点へ、ここからバスセンターまで1時間以上あったが、地元のタクシーが林道まで入れず、ひたすら歩く、歩く。こうして無事、バスセンター到着。木曽山脈の長時間縦走も帰路へとなった。厳しい岩山、聖職の碑の記念碑、可憐な高山植物、美しい山々の展望、天空の木曽山脈の様々な景色に触れることが出来た貴重な時間でした。リーダーやメンバーに助けられ、この貴重な体験が出来たことはこれからも忘れられない思い出です。緊張の中にもたくさんの感動がありました。Kリーダー、メンバーに感謝です。ありがとうございました。

(W  記)




桂小場登山口を出発


胸突八丁の急登にさしかかる

新田次郎「聖職の碑」の記念碑


木曽駒ヶ岳山頂


檜尾岳の山頂

宝剣岳の厳しい岩場



雲海の美しさに見とれて…


1泊目の宝剣山荘前にて

夕日に浮かび上がる富士山

2泊目の木曽殿山荘出発

空木岳の勇姿

リーダーより慎重に登る様に注意を受ける

空木岳の急峻な岩場その1

その2

その3

空木岳頂上

下山道に有る駒石


駒峰ヒュッテで水補給