1676 千葉:松戸から市川へ 歴史ウォーク

期   日:2020年12月23日(水)
天   候:晴
参 加 者 :6名(男4 女2)
費   用:1,210円(浦和起点)
コース 南浦和8:01=新松戸=松戸8:45―松戸神社―戸定が丘歴史公園9:30/10:00―浅間神社
     ―坂川親水公園11:00―西蓮寺・野菊苑展望台11:30/12:10―矢切神社―矢切駅
     ―じゅん采緑地公園12:40/13:00―下総国分尼寺跡―下総国分寺13:50―郭沫若記念館
     ―須和田公園―手児奈霊堂14:30―市川駅15:10/21=西船橋=南浦和16:19

 松戸駅の西口を南西方向に歩くと坂川に達し、水戸街道松戸宿の本陣跡の敷石が縁道 に敷いてある。目の前に松戸神社。西暦110年、景行天皇がここで従者と待ち合わせたことから、待土→松戸となったといわれる。 常磐線を東に越えると戸定が丘歴史公園。最後の水戸藩主で15代将軍慶喜の弟、徳川昭武の邸跡を整備したものであるが、 徳川家が権力の座から去った明治になってからこのような宏大な庭園を持つ邸を営んだことに驚かされる。松戸の市街を見下ろした後は、 富士山信仰の浅間神社。鬱蒼とした樹叢が残っていた。
 外環道をくぐって進むと、上矢切。矢切耕地に入ったのだ。坂川縁の整備された道を遠くに江戸川の向こうの高層ビルやスカイツリーを眺めながら歩くと 今年始めの七福神めぐりで矢切の渡しを渡ってきた道と交差する。伊藤左千夫・野菊の墓の説明板がある。左手に緑の斜面林が広がり、 小高い野菊苑展望台に上ると歩いてきた矢切耕地、江戸川、東京のビル群が見渡せここで昼食。隣の西蓮寺には野菊の墓の文学碑とこの辺りが1564年、 北条氏と里見氏の激戦、国府台合戦の主戦場であったという説明板がある。
 矢切神社を経て今日唯一の自動車道を歩き矢切駅の先を左折するとじゅん采池緑地。今は絶滅したがかつては農家がじゅん采を出荷したこともあるという長い、 大きな池が整備された公園で、池にはたくさんの水鳥が遊び、周囲は緑豊かな木々に囲まれていた。
 既に市川市に入っており向かった国分尼寺跡は1932年に発掘され、市川市が公園として管理している。次の国分寺はかつての国分寺の跡に建立された現役の大きなお寺だ。
  高台をやや下り、郭沫若記念館。郭沫若は日本で学び戦後、国交回復前の日中交流につとめた中国の文化人、政治家で昭和の初めの10年間、 この地で亡命生活を送った。すぐ近くの須和田公園は弥生時代後期の竪穴式住居が発見された跡地を整備した公園。 この辺り市川市北西部国府台は古くから人々が住み着いたひらけた一帯であったことを物語っている。 最後に訪れたのは手児奈霊堂。万葉集に詠われた悲劇の美しい里娘手児奈が祀られている。 万葉の歌人山部赤人も訪れたというこの辺りは、 文化の中心地であったことが偲ばれる。
 コロナ騒ぎで参加者が少なくなったのは残念であるが、かえって少人数で和やかにおだやかな天候に恵まれた歳末の一日を楽しむことができました。負け惜しみ!

(N   記)





松戸駅から歩き始めて、古の景行天皇の行幸を”待った”という、松戸神社へ。


最後の水戸藩主、徳川昭武の別邸のある、戸定が丘歴史公園。


この庭園から見える富士は「関東の富士百景」のひとつ。残念、よく見えなかっ た。


”浅間神社”だけあって、高い階段が続くので、ハアハア息切れ。


坂川親水公園。今回のコース随一!の展望を愉しみながら休憩。矢切ネギの畑が ひろがる。


西蓮寺にある「野菊の墓文学碑」。土屋文明の筆による。


じゅん菜池緑地公園では、のんびりとオナガガモが泳いでいた。


下総国分寺跡。今は、立派なお寺さんが再建されている。


万葉集でも歌われている真間手児奈にちなんだ「手児奈霊堂」で、美しい女人に
シャッターをお願いした!