1579 千葉・我孫子 手賀沼北岸

期   日:2020年2月2日(日)
天   候:快晴
参 加 者 :男性8名 女性9名 計17名
費   用:1000円程度(電車・弁当他)

コース  南浦和7:18⇒新松戸7:47/7:56⇒北柏8:07−金塚古墳・根戸城址−武者小路実篤邸跡
     −船戸の森−白山古墳公園−手賀沼公園−三樹荘跡―嘉納治五郎別荘跡―杉村楚人冠公園
     −楚人冠記念館−白樺文学館−志賀直哉邸跡―滝井孝作仮寓跡―旧村川(堅悟、堅太郎)別荘
     −手賀沼親水公園−高野山香取神社−水神山古墳―高野山桃山公園−天王台駅14:30

 千葉県我孫子市手賀沼北岸で、白樺派文人の邸宅や古墳群を散策する約6時間強のコース。朝8時、風は少し冷たいものの、真冬の快晴の一日、 常磐線北柏駅に17人が集まって散策の開始である。
 住宅街を少し歩くと正面にこんもりとした森が見えてくる。畑の小道を通り竹藪の中に入って行く。昨年の台風で太いモウソウチクがなぎ倒されてかなり荒れた様相の 森の小道を少し歩くとそこは既に根戸城址で土塁や館跡と思われる広場がいくつかある。一部通行止めになっているところもあり、金山古墳は確認できないまま、 坂道を下り観光農園の中を抜けていくと車道に出る。
 車道を渡り少し歩くと木々で覆われた丘が見えてくる。丘の縁には美しい小道が巡っており、地元では「はけ」の道と呼ぶとのこと。 丘の上の樹木が蓄えた地下水が湧き出て近くの畑を潤している。本日はこの「はけ」の道を歩きながら、丘の上に点在する白樺派文人の邸宅跡と古墳を巡るコースである。 ちなみに関東地方では「はけ」とは「崖」の言い。
 1KM程歩いて左に折れ綺麗に手入れされた雑木林の中を登っていくと、旧武者小路実篤邸宅に到着する。あいにくこの時は参観ができない様子で、 門越しにお庭を拝見する。武者小路実篤は、白樺派の創始者で、大正5年〜7年に我孫子に居住し、志賀直哉や柳宋悦などと交流、「新しき村」の建設を唱え発会式は この邸内で開かれたとのこと。眼下に手賀沼を望む雑木林に囲まれたいかにも白樺派文人好みの邸宅である。
 来た道を戻り船戸の森や白山古墳公園での休憩をはさみながら、手賀沼方面に降りていく。手賀沼公園でトイレ休憩、水辺の冬の日差しの中でお菓子を食べながらしばし寛ぐ。
 10時30分、散策を再開し車道を渡り、森の間に覗く天神坂を上るとそこは三樹荘跡と嘉納治五郎邸宅跡である。三樹荘は民芸運動提唱者の柳宗悦・ イギリス人陶芸家バーナードリーチゆかりの地、嘉納治五郎は昨年のNHK大河ドラマで脚光を浴びた柔道の創始者で教育者として著名。眼下に手賀沼、 遠くに富士山を望む(はずの)高台で恒例の記念撮影をした。
この少し先では、親子二代にわたる西洋古代史学者で嘉納治五郎の教え子、村川堅固が建設し、息子堅太郎が守った別荘、旧村川別荘が見学できる。旧我孫子宿の本陣の離れを移築した母屋と、衣食住に中で住まいを最も重視した堅固が、昭和2年にこだわって建築した新館を見学した。
 11時、杉村楚人冠公園を経て楚人冠記念館に到着、お庭をお借りして昼食、朝食が早かったせいか皆さんおなかがぺこぺこだった。杉村楚人冠は、 明治末期から昭和前期の東京朝日新聞で活躍したジャーナリスト、関東大震災後にこの地に転居し、我孫子の発展に尽力したとのこと。各種ツバキ、サザンカがきれいな花を咲かせていた。
 再び丘を降りて住宅街を抜け白樺文学館を経て志賀直哉邸跡に着く。こんもりした森の中に敷地があるだけだが、庭木が残っており、また移築された茶室風書斎が一般公開されている。  少し歩き再び丘に登っていくと円形の盛り土があり、そこが4・5号子の神古墳で小説「無限抱擁」で有名な瀧井孝作が仮住まいした場所でもある。
 この少し先では、親子二代にわたる西洋古代史学者で嘉納治五郎の教え子、村川堅固が建設し、息子堅太郎が守った別荘、旧村川別荘が見学できる。旧我孫子宿の本陣の離れを移築した母屋と、衣食住に中で住まいを最も重視した堅固が、昭和2年にこだわって建築した新館を見学した。
 13時に手賀沼親水公園まで降り、陽だまりの中、手賀沼沿いの桜並木の遊歩道をのんびりと散策。そのあと再び「はけ」の道を経て、急坂の参道を高野山香取神社へ向かう。 参拝のあと、丘の上の住宅街を少し歩くと水神山古墳に着く。この古墳は全長69Mで我孫子市内で最大の古墳と考えられているとのこと、古墳の上に登りしばし古代人の気持ちに浸る。
 最後に高野山桃山公園でこの日最後の手賀沼の絶景を楽しみ再度記念撮影したあと、帰途に就く。常磐線天王台駅についたのは14時半過ぎ、ここで盛りだくさんの「はけ」の道散策を終えた。

(H   記)





手賀沼を望む高台で記念撮影


「はけ」の道を散策


楚人冠記念館のお庭で昼食


ルート添いにはこんな案内板が、所々に設置されていて便利。(でも、結構迷った なあ。)


「旧村川別荘」。ソーダガラスが懐かしく好ましい日本家屋だ。


村川別荘の側、子の権現の境内にあった三角点。(山屋は見逃さない!?)


07高野山香取神社にお詣り。


「水上山古墳」。土器のかけらでも、お探しかな?


冬の手賀沼を臨む


高野山桃山公園で再度記念撮影