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期 日 | 2014年12月4日(日) |
参加者 | 17名 |
費 用 | 850円(上尾駅起点) |
コース | 8:30両国駅→8:40吉良邸→9:00両国橋→9:20隅田川テラス →10:00隅田川大橋(休憩)→甘酒をふるまわれた場所→11:15浅野内匠頭邸跡 →11:25築地本願寺→ 11:30築地場外市場(ランチ)→13:00高輪の大木戸 →13:20泉岳寺→14:00大河内蔵助等17名自決場所・肥後熊本藩細川越中守邸(現高松宮邸・高松中) |
時代物の歴史に関して全く疎い私は、15年程前に江戸を歩くという本を買い後楽園近辺や護国寺近辺を放浪したことがある。その時江戸は深いなと実に関心したが、歴史音痴の私にはそれ以上の進展もなく、今回は休みも重なりこれ幸いと参加をさせて頂いた。
さて、赤穂浪士討ち入りについて今回見聞した事を私なりに整理いたします。
元禄15年(1702)12月14日朝方赤穂藩士47名が吉良上野介邸に押し入り上野介の首を討ち、殺害し主君の仇を討った事が、一般に言われている「忠臣蔵」である。
なぜ討入騒動になったのか?赤穂藩主・浅野内匠頭が江戸城で皇室の使者を迎えるために準備をしていたが、要領が判らない事を吉良上野介に咎められ、怒った藩主が上野介に切りつけた事が当時の将軍綱吉の耳に入り、「江戸城内」の抜刀は絶対禁止事項のため、浅野内匠頭へ切腹を命じ自決。このことが浪士達の心に火を付け討入に至ったと言われている。
今回はこの上野介邸の討入現場から江戸界隈を横断し、休息して甘酒粥を振る舞われた場所等の石碑を見た。さらに途中築地場外市場でのランチ後に、47名の墓石がある泉岳寺を経由し17名が自決した場所まで見聞した。
泉岳寺の墓標を見ていると大石の名が3つ在るのに気づく、ひとつは当然のことながら大石内蔵助の墓。これは一目見て判る。大石瀬左衛門は後日調べると馬廻しとあり、大石とは無関係のようだ。あと一つ、大石主税とあり、内蔵助の長男で享年16歳である。主税は真っ先に切腹し首実検も受けたとされ、当時の検視役人達もその姿を見て涙したと伝えられている。また主税の切腹時の遺品は幕府に没収されるのが普通であったが、遺族に遺品として渡されたとされている。頭脳明晰であった長男を亡くした母親からすれば、せめてもの救いになったのであろうか。また、父親の内蔵助と別れる際には、父親は何を思っていたのか知るすべもないが、子を思う親の気持はいつの時代も変わらないはず、と思うと込み上げるものがあるのは私だけだろうか!
こんな事を思う自分を発見出来た事も大発見でしたが、係のK氏の事前準備と資料選定等の手配。それを取り巻く参加者の方々の知識は非常に参考になったハイクでした。
是非とも休日にやって欲しいものです。
Y.記
JR両国駅改札 | 改札にある相撲力士石像 |
吉良邸跡にてスタート | 両国駅東詰の「ももんじゃ」屋 |
「ももんじゃ」の説明 | 春日野部屋 |
隅田川テラス① | 隅田川テラス② |
隅田川テラス③ | 旧浅野邸跡の碑(現在聖路加国際看護大学院) |
築地市場場外(昼食) | 歌舞伎座 |
泉岳寺到着 | 大石内蔵助良雄の像 |
泉岳寺・赤穂浪士墓所 | 高輪・旧細川邸のシイの巨木 |