934 歴史の道歩き・旧中山道 碓氷峠


期 日2013年8月3日(土) 晴れ時々曇り
参加者22名
費 用6800円
コースJR軽井沢駅8:30―旧軽井沢ー二手橋9:00―旧碓氷峠遊覧歩道―見晴台10:30
―碓氷峠(熊野神社)10:50―思婦石―施行所跡―陣場ヶ原分岐11:25―一つ家跡
―山中茶屋跡―栗ヶ原―座頭ころがし12:45ー馬頭観音―堀切跡13:00―あずまや
―刎石(はねいし)茶屋跡―-―弘法の井戸―覗(のぞき)13:30―風穴―石仏―刎石坂
―番所跡―峠道入口(東屋)14:00―坂本宿入口―峠の湯=(トロッコ電車)
=鉄道文化むら14:50ーJR横川駅・解散14:55

 第1回“歴史の道歩き”として徳川幕府が直接管理をした、日本橋起点の五街道の1つ「旧中山道・碓氷峠」歩きを企画した。
 長野新幹線・軽井沢駅改札に22名集合する。連日のうだるような暑さが続く、さいたま市を離れ標高1,000mの避暑地軽井沢は24℃と!別天地だ。今回の歩程は旧軽井沢の軽井沢宿を抜け、碓氷峠まで標高差200mほど登り、坂本宿まで700m下る“皇女・和宮”降嫁の道で、その様子を体験する歴史の道歩きだ。
 軽井沢宿の面影を残す休泊茶屋「つるや」を過ぎると、飯盛女と別れを惜しんだ二手橋の先から旧碓氷峠遊覧歩道に入り峠に向かう。木々の緑に囲まれながら見晴台に到着。群馬県と長野県との県境に位置し千曲川と利根川に流れる分水嶺でもある。妙義山・浅間山・佐久平そして八ヶ岳を望むことができた。
 碓氷峠の熊野神社を過ぎるといよいよ坂本宿への下りが始まる。峠の“力餅”を味わう時間が無く残念。下るとき、地元の方から「ヒルが出るので注意!」との勧告あり。和宮の輿が通行するためにわざわざ助郷人足で造らせた道を避け、熊笹や藪の古道を歩くと勧告のヒルに取り付かれ、あわてる。樹木生い茂る古道での昼食時、またヒルに襲われる方がいてそこそこに昼食を済ませた。嫌な思い出を作ってしまったと反省。
 峠道には当時の様子を説明する標識が整備されており歴史好きなハイカーには楽しい街道歩きである。この碓氷峠道は明治天皇も巡幸されており、明治の始めごろまで往来する人で賑わっていたようだ。上杉・武田軍が戦った陣場ヶ原、堀切跡は秀吉の小田原攻めの古戦場で、往時を偲ばせる場所もある。“座頭ころがし”と名付けられて岩や小石ごろごろの急坂を下ると、刎石(はねいし)茶屋に水がないのを憐み、弘法大師が掘り当てた伝説の井戸がある。今もこんこんと湧いていた。当時の輸送手段に馬が頻繁に使用されており馬頭観音の石塔が各所に建立されている。念仏百万遍と刻まれた石や地蔵などにも往時の旅人の気持ちが偲ばれる。
 峠道のハイライト!「刎石の覗き」に到着。坂本宿を見下ろし横川まで一望する素晴らしい場所で感嘆の声が上がる。ここからが峠道の中でも一番の難所“刎石坂”と呼ばれる場所で、足元に注意しながら下る。「柱状節理」の火成岩の尾根を開削した滑りやすい下り坂だ。この石道を和宮の列がどのように下ったのか???思いを馳せる。資料によると和宮の行列は本隊が千数百人で護衛の者や人足など合わせると、その長さは50㌔に達したと言われている。またこの峠道では「安政遠足 侍マラソン」が毎年春に開催されており、安政2年(1855年)安中藩士の鍛錬の為、安中城門から碓氷峠・熊野神社まで走らせたのが最初だとか。
 最後の急斜面を下ると東屋のある峠道入口の標柱が目に入る。坂本宿はすぐそこだ。下界は30℃を越えていたが全員無事横川駅で解散することが出来た。ご協力ありがとうございました。帰路、希望者で磯部温泉に立ち寄り汗を流した。

K.記


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