NO.511
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◇ 多摩よこやまの道
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◇期 日: 9月23日(火) ◇天 候: 晴れ ◇参加者: 12名 ◇費 用: 1,700円 |
コース 南浦和駅8:07=京王線・若葉台9:30−「よこやまの道」入り口9:50−丘ノ上広場10:00−諏訪ヶ岳10:25−展望広場10:45−一本杉公園11:40―同出発12:40−唐木田排水場13:20−小山田展望台13:50−国道・長浜公園14:40−清水公園15:00−京王線・南大沢15:30 解散
多摩ニュータウン建設の首都整備公団が整備した、全長約10kmの遊歩道。敢えて「よこやまの道」とひらがなを使用しているのは、万葉集に由来する。東国から北九州まで旅して大陸に対する防衛に従事した「防人」たちは、再び故郷に戻ることが出来なかったようで、このような防人として、夫を送り出す妻の心境を歌った万葉集の歌が、「案内板」に紹介されている。古代人は、多摩丘陵のなだらかな尾根を「よこやま」と呼んでおり―漢字が伝来する前の口伝を万葉かなで表記している―、この尾根筋には東から西に向かう東海道のような役割を果たす道があった。天気は、前日とは異なり、朝から日照りが強く、気温が高い。開発の進んだ駅前や大きな団地の近くを通って、「よこやまの道」に入る。良く整備された、平坦な尾根筋の道で、随所に丁寧な「案内板」があり、手入れが行き届いている。木陰となったため、幾分涼しくなる。「丘ノ上広場」からは、多摩ニュータウン方面が見渡せた。きれいに刈られた下草の中に、15センチメートル大の白い「きのこ」を発見する。何カ所もあったので、管理人みたいな方に尋ねたが、分からず仕舞い。謎の大きのこ。「案内板」によると、多摩丘陵には、鎌倉古道、奥州古道などの重要な歴史街道が縦走・横断していたようで、中世から江戸時代にわたって政治、軍事、文化、社寺・霊地参詣などを目的として、東国−西国間の交易を行なう商人や鎌倉武士団、諸国霊場を行脚する巡礼者や都の貴人、幕末には新選組なども行き来したようで、歴史とロマンを感じた。最高点の諏訪ヶ岳には、144.3mの四等三角点があった。ヤブ蚊が多く、休憩時に刺された人がいた。展望広場には、「防人見返りの峠」の標識があり、防人たちは、この場所で故郷を振り返りながら、家族との別れを惜しんだのでしょう。また、途中、柔道で金メダルの学校やヨーロッパの城のような煉瓦作りの大学の近くを通過したり、丘の上から大規模商業施設などを眺めたりした。ベストシーズンは冬のようであるから、今度は、双眼鏡を持参し、武蔵の国の原風景を想像しながらゆっくり歩いてみたい。
前日までの雨もあがってのウオーキング日和。お彼岸のお墓参りをパスした面々は 新しい若葉台の駅前を9時半には出発。多摩丘陵といえば、「平成ぽんぽこ狸合戦」しか頭に浮かばないわたしも、随所にたてられた案内板の説明で、この道が万葉集にも歌われた横山の古道だとおしえられ、また、鎌倉街道に添った生活道だったこともわかった。一本杉公園ではお昼の休みの合間に、絵心のある仲間は、さらさらとスケッチをしたり、絵心のないその他大勢は、お喋りに花を咲かせたり..。たかが水平移動だと、少々なめてかかった自分は、ずいぶん歩きでのあるコースにさすがハイキングクラブの山行と納得。下山行のお鮨で一杯、も最高、だった。 |